新河岸川を歩こう!
4日目 浮間橋 から 黒目川合流点まで
今日は、JR埼京線 北赤羽駅から歩きます。クリックすると大きくなる画像もあります。
北赤羽駅(地図a)の近くには、マンションや団地が沢山建っています。都心にも近くて便利そうです。
新幹線がびゅんびゅん走っていますが、鴨はのんびりです。
新河岸大橋と小豆沢河岸跡(地図b)。江戸時代、荒川舟運の河岸として栄えたそうです。
現在の小豆沢河岸には水上バスの乗り場があります。
なんと!ここから隅田川の河口や、荒川の河口まで舟で行けるのです!岩淵の水門も船で通れる!!くぅ~、乗りたい!
でもなんで運航日がこんなに少ないの。。。平日だし。。。でもいつか乗りに行きます!
小豆沢河岸からちょっと行くと、武蔵野台地の崖に出ます。
かなり急こう配です。この先、川から緑が見えると、たいてい崖だったりします。コンクリートで固めてあるより安心な感じがします。
崖を登ったところに、小豆沢神社と薬王山龍福寺が並んで建っています。
小豆沢神社(地図c)は、康平年間(1058-1065)、源義家の勧請と伝えられます。祭神は国之常立神、他16柱。境内社は、天満宮、稲荷宮、水神宮、御嶽神社、諏訪神社、。明治時代までは十二天社と呼ばれていました。
加門七海氏によると、この小豆沢神社も、江戸の結界を守護する、重要な神社だという話です。
小豆沢の地名の由来については、下記のような2つの故事が残されているそうです。
- ①平将門の時代、神社の台地下の入江(荒川の昔の河道)に停泊中の船が嵐に遭い、小豆を積んだ袋を流出した。
- ②上流から漂着した米を腐らないうちに食べたことを、裁判で評価され、祝いの小豆飯を炊いた。
現在では、後者の故事に因み、毎年六月十五日に餅つき祭が執り行われています。
ご神木のスダジイは、天然記念物にも指定されている立派な木です。
金色の復興(幸福)カエルも。
小豆沢神社の隣にある、薬王院龍福寺(地図d)は、真言宗智山派 本尊は大日如来 室町時代末に袋村(現北赤羽)の真頂院の僧運珍が隠居寺として創建されたお寺です。
本寺に伝わる「薬師縁起」には、薬師堂に祀られている薬師如来が天長年間(824-834)に台地下の七々子崎と呼ばれる荒川の入江で発見されたことや、小豆沢の地名が、平将門への貢物を積んだ舟がここで沈みその際、積荷の小豆が流失したことに由来していることが書かれています。
小豆沢神社との境の塀際には御手洗不動尊がまつられています。
小豆沢神社の裏手にある階段を下りて左手に行くと、御手洗の泉(地図e)があります。武蔵野台地の崖から湧き出した水が池になっています。
江戸時代に大流行した大山詣り、富士詣りの道者たちが、不動尊をまつるこの泉で心身を浄め禊(みそぎ)をした禊場の跡で、道者たちは禊を終えると白衣に着替えて聖山へと旅立ったそうです。
また、ここの湧き水は古くから眼病に霊験があると伝えられており、村人たちは眼病にかかると泉の水で眼を洗ったという言い伝えもありました。
小豆沢環境クラブが中心となり、荒廃したこの地を、雑草を刈り取り整地して、本尊石造不動尊を丘上の龍福寺門前に奉還し、その跡地に御手洗池を復元して、新たに建立された社殿に金銅の不動尊・聖観音像をまつり、由緒深い旧跡を守っているそうです。
崖上の龍福寺の秘仏・薬師如来像がこの泉から出現したという伝承もあるそうです。
新河岸大橋(地図f)を越えます。橋の欄干には、区の花「ニリンソウ」が。
ここから新河岸橋までは、雑草の生い茂るカミソリ堤防です。
新河岸橋(地図g)を越えます。ここにも、「ニリンソウ」が。板橋区はニリンソウ押しなんでしょうか。でも素敵ですね。咲いているところを見てみたいです。
歩行者用の長後さくら橋(地図h)の前にはいきなりジャングルが!
ここは志村化工跡地で現在は東京都水道局が所有しているようですが、数十年にわたって、開発が滞っているのだそうです。
平成橋(地図i)を越えます。埼京線開通を機に、舟渡地域と東坂下地域を結ぶため平成元年に築造された人道橋です。
板橋区の橋はタイルなどの装飾が多く、見ていて面白いです。
志村橋(地図j)を越えると、蓮根橋(地図k)と「新日鉄住金君津製鐵所・東京地区」が見えてきます。明治40年の1935年に創設された古い工場です。現在はシームレス鋼管を製造しており、君津から材料をはしけで運んでいるそうです。
美しい鉄塔(地図l)。
ゴルフ場の跡地みたいです。
舟渡大橋(地図m)は二階建です。上が自動車用、下が歩行者用です。渡ると舟渡公園があります。仮面ライダーやドラマのロケで有名らしいです。
橋の欄干には新河岸川の舟運の絵、床にはカエルやナマズのモザイクが。その他レリーフなどもあり、楽しい橋です。
でも、橋は越えられず、もとに戻って下をくぐる事になりました。
西台橋(地図n)を越え、高島平に入ります。左手に板橋清掃工場、右手に新河岸水管橋(地図o)を越えると、
徳丸橋(地図p)です。欄干には稲穂が。
東京ガス 板橋整圧所のガスタンク(地図q)。何故か美しいですよね。川越にあったガスタンクは、昨年撤去されてしまいましたが、ここはまだ健在です。
ガスタンク好きには、渡邉 雄介氏の「ガスタンク・グラフィティ」という写真集がたまりません。
芝原橋(地図r)を超えると、新河岸水再生センター(地図s)が見えてきます。
区部全体の面積の約18%にある、練馬・板橋・杉並区の大部分と中野・北・豊島・新宿区の一部から発生する下水を浮間水再生センターと共同で処理しているそうです。
早瀬橋(地図t)のたもとに、板橋市場があります。
板橋市場では、青果及び花きを取扱っていて、青果は約350店、花きは、北足立市場、大田市場に次ぐ都内3番目で、約700店近くが競りに参加するそうです。
ここで、チョウゲンボウらしき、巨大猛禽類を発見!
高圧電線のまわりを優雅に旋回していました。
彩湖からやってきたのでしょうか。。びっくりです。
早瀬人道橋 (地図u)。
現在は殺風景な橋ですが、1976年から東京12チャンネルで放映された、「忍者キャプター」という東映特撮ドラマでは、往時の橋の様子が写し出されています。
荒川の土手の見え方も同じですよね。特撮物のロケ地を歩くのも楽しそうですね~。
笹目橋(地図v)です。桜が咲いたら綺麗でしょうね。
あれ、高速道路に自転車が!?
と、びっくりして橋まで登って見たところ、高速道路と一般道が並行して走っていました。
上流側から国道17号線 新大宮バイパス下り(4車線+歩道)、首都高速5号池袋線(上下各2車線)、新大宮バイパス上り(4車線+歩道)の3本の橋が並んで架かっていました。
日本橋まで19kmです。さすが中山道。17号線も日本橋が起点なんですね~。
武蔵野台地の崖も見えます。あのあたりに、赤塚不動の滝があります。
さて、笹目橋を越えるとすぐ、白子川合流点(地図w)です。ここから埼玉県に入ります。
埼玉県に入った途端に道が悪くなります。
芝宮橋(地図x)もぼろぼろです。
ここから朝霞水門までは、左岸には荒川と新河岸川の中間の堤防が有り、右岸は道が無さそうなので、芝宮橋を渡って左岸を進みます。
遠くに見える茶色いゲートは、彩湖の排水門です。
人工湖である彩湖の東岸は、「彩湖・道満グリーンパーク」として整備されています。
昔は、「道満河岸」があったそうですって、道満!? あの安倍晴明の永遠のライバルの道満!!!???
実は、この辺りは、奈良時代、新羅郡と呼ばれていました。その後、新羅郡が転化し、新座郡となったのです。その為、新羅の転化といわれる、新倉、白子、志木(志羅木の略)などの地名が残っています。
そして、ここ、和光市新倉、この新倉橋(地図y)から見える、午房山(牛王山)遺跡(地図z)が、新羅王の居蹟、そして新羅郡郡衙跡としてもっとも有力視されているのです。
牛王というと、武田信玄が軍用金を埋蔵したという伝説が残る牛王院平を思い出しますね~。
そしてなんと、牛房山遺跡そばに建つ、臨済宗建長寺派のお寺「祥光山 金泉寺」(地図a)と、県立和光高校(地図b)に残る龍神伝説。。(ちなみに制服のエンブレムが龍のデザインなんだそうです)
ちょっと離れた所に建つ下新倉氷川八幡神社(地図c)の祭神は建速須佐之男尊。
そして、白子にある「吹上観音」(地図d)は、天平時代の行基作と伝えられ、この「吹上観音」を祭る東明禅寺は臨済宗建長寺派だけれど、もともとは修験道の行場だったとか。
「新羅」、「道満」、「祥光山 金泉寺」、「龍」、「素戔嗚」、「吹上」、「行基」、「修験道」。。。ああ金属の符号に満ちている。。。 何かある、きっと何かある~。。。
ここは、再訪しなくては!
そういえば、3日目に訪れた、岩淵の八雲神社は、江戸時代には「牛頭天王社」と呼ばれていたとか。ここも何か関係があるのか???
幸魂大橋(地図e)が見えてきました。
荒川ではボートの練習をする人達も。とても早くてびっくりしました。
やっと朝霞水門が見えて来ました。(地図f)
明治時代の大洪水をきっかけに荒川が改修されるまでは、ここが新河岸川と荒川の合流点でした。ここから岩淵までは、荒川改修時に開削された水路です。
朝霞水門は、1996年に完成しました。新河岸川と荒川では、流域の規模や流出の特性が異なるため、一般的に新河岸川の洪水のピークは荒川よりも早いので、この水門を開けることにより、新河岸川の洪水を荒川に分派し、新河岸川流域の浸水被害を軽減する事ができるそうです。
荒川に別れを告げ、内間木橋(地図g)を渡り、新河岸川右岸に戻ります。左岸の朝霞調整池を見ながら、朝霞大橋(地図h)を越え、草むらをかき分け歩いて行くと、
なんとここに新河岸川終点の石碑が!(地図i)
まだ真新しい花崗岩です。今でもここが新河岸川の終点なのでしょうか。でもそうすると、ここから下流の新河岸川は正式には何なんでしょう??
キロポストらしき物も。。ゼロって読めますよねぇ。
この先が、黒目川と新河岸川の合流点です。(地図j)。
今日の新河岸川歩きはここまでです。
ここから朝霞台駅まで、Googleの道案内で歩いたのですが、この案内、絶対坂を考慮に入れてないです。。坂を登ったり下ったり、遠回りでも黒目川沿いに歩けば楽だった事でしょう。でも途中、トイレ休憩がてら立ち寄った朝霞市博物館が、無料にしては、かなり充実した展示で勉強になったので、結果オーライでした。
更新 2014/08/26