埼玉県の中央構造線を歩こう!
先日、ネットサーフィンをしていると、産業技術総合研究所の研究成果記事一覧に、「関東平野地下深部に特定された中央構造線」という記事を見つけました。その記事によると、岩槻市南東部の末田付近でボーリングされた岩石が領家帯の岩石であることがわかり、地下深部の中央構造線の位置が推測できたとの事でした。
中央構造線といえば、長野以西を思い浮かべますが、埼玉県の下にも中央構造線が走っているとは。。。
驚きと共に、興味がむくむくと湧いて来ました。
吉見町周辺
下図は、大鹿村中央構造線博物館が提供している中央構造線マップです。
吉見町を拡大します。
なぜまず吉見町なのか。それは・・・
黄銅鉱やザクロ石や沸石の入った変成岩の露頭があるらしいからです!そして、東山道も通じ、古代から栄えていた地。
これはでは行かない訳には参りません。
吉見町地域は昔は横見郡でした。埼玉県史によると、横見の由来は東山道から横に見えるからとしていますが、埼玉地名誌では比企丘陵の横と解しています。6世紀前半に武蔵国国造家の内紛により、大和朝廷に屯倉として献上されました。
吉見町の玄関口、東松山駅です。駅前には、ノーベル物理学賞の梶田先生の記念碑が。
東松山市出身、川越高校卒業なのです。
北吉見の露頭。丘陵を造成した住宅地の谷間にあります。
道路側の岩は平面に割れる緑がかった岩石です。圧力編成を受けた岩石のようです。
良く見ると黒っぽい濃い緑色の部分と白っぽい部分があります。
白っぽい部分は錆びたような色に変色していたりもしました。鉄が含まれているのでしょうか?
この岩石の白い部分は全て沸石らしいです。
裏側に回ると、紫色の岩石が現れます。
どうも風化で紫色になったような感じです。
こちら側の岩は層状の片理は少なく、黄銅鉱やザクロ石が入っている事があるようです。
ここから吉見観音に移動する道で、雲母がキラキラ光る風化した変成岩の露頭を見つけました少し緑色に変色している部分があります。苔でしょうか、それとも銅?
このあたりは昔、柚沢という地名がありました。埼玉県地名誌によると、温泉が湧いていて湯沢から柚沢に改名されたようだとの事です。
さて、記念すべき最初の中央構造線近辺の寺社は、岩殿山安楽寺 真言宗智山派 通称吉見観音です。
住所も吉見町御所字観音。
本尊は聖観世音菩薩。吉見観音縁起によると、今から約1200年前に聖武天皇の勅命を受けた行基菩薩がこの地に観世音菩薩の像を彫って岩窟に納め、奥州征伐のときこの地に立寄った坂上田村麻呂によって領内の総鎮守となりたことが起源だとの事。
わーい、早くも行基様関連の寺社だ!行基様は、奈良の大仏鋳造にも関わった鉱物のエキスパートです。
そしてなんとこのお寺、南に向かった参道の傍らに、大正・昭和期に採掘をしていたという岩殿鉱山の坑道の入り口があり(このあたりだったらしい)、黄銅鉱を産出していたとか。北の斜面を八丁湖に降りていった所には、金堀穴というもっと古い坑道の入り口もあるらしい。(やぶで降りて行けませんでした)
そしてこれらの坑道は、安楽寺の下で繋がっているという話もあるようで。
早速境内に入りお参りして、五重塔に向かうと、なんとそこに、さっきの露頭でみた、紫色の岩石と同じ石が!
そして行基様が観音様を納めたといわれる岩窟。
あれ?岩殿山に聞き覚えがあると思ったら、山梨県大月市、JR大月駅の前に、鬼伝説のある岩殿山という岩山があるではないですか。そして調べてみたらありました!行基様が大同元年(806)に創建したと伝えられる、天台宗のお寺、岩殿山円通寺が!ご本尊は十一面観音です。十一面観音といえば、言わずと知れた鉱物神、妙見菩薩の本地の仏様!近くには金を産出したという金山(地名も金山!)があります。
岩殿という名前には何か鉱物を暗示する意味があるのでしょうか。。。
ここ安楽寺は、ちょうど地層の境に乗っていますね。
玉鉾山に鎮座する高負彦根神社。
和銅3年(710)に創建。延喜式神名帳に記載されている社で、吉見町に鎮座する延喜式式内社3社のうち最も古く、かつ最初に官社に列された神社。
ご祭神は味耜高彦根命と大己貴命(又は素戔嗚命)。ご神体は湊石。この神様は大国主神と宗像三女神のタキリビメの間の子と言われ、鋤を神格化した神とも言われており、「日本書紀」ではこの神様を「光儀華艶しくして、二丘二谷の間に映る」と表現しています。葛城の鴨氏が祀っていたとされる神様のようです。日光の二荒山神社の元々の社である本宮神社に太郎山の神としてお祀りされています。ところが、「埼玉の神社」によると、「当社は土地の人々には女神様とされている」との記載も。。。
葛城の鴨氏というと、出雲から移ってきたとも言われており、日光といえば、数々のスーパースター(勝道上人、弘法大師空海、慈覚大師円仁、天海僧正)が足跡を残した鉱物の地。
吉見観音で産出された鉱物は黄銅鉱で、埋蔵伝説のあるチャートに岩山の玉鉾山。
「埼玉の神社」には渡来人吉志氏の派遣の可能性についても書かれており。。
なんか鉱物な感じがします。
鋤といえば鍬と共に地鎮祭などで、鎮めに使われますよね。加門七海氏は、「黄金結界」の中で、丑寅方位に置く鎮めの鍬と銅鐸の関係を指摘しています。
ポンポン山の財宝埋蔵伝説。ポンポン山は何かの鎮めなのか??
よーし、ポンポン山から南東に線を引いてみよう!と軽い気持ちで線を引いてみたら、
ありました!
東松山市にある岩殿観音 正法寺!
正法寺のホームページによると、養老養老2年(718年)、沙門逸海により開山。岩殿山の峰の岩窟に本尊千手観音を安置し、傍らに正法庵と号した草庵を結んだのが始まりとのこと。
そしてこの地にはヤマタノオロチ伝説によく似た龍の伝説がありました。ここでは、坂上田村麻呂が龍退治をしています。
なんだか吉見観音の由来と似ていますね。観音様を岩窟に納めるし、坂上田村麻呂も登場する。極め付けは製鉄地帯に共通する龍、それも右目を射られた龍。
そして、坂上田村麻呂が矢を洗った伝説のある矢洗川に面したと伝えられる、下青鳥(しもおおどり)氷川神社。社伝によると正徳5年(1715)に勧請。ご祭神は素戔嗚命。昭和23年の調査で6尺以上(1.8m)にもなるケヤキや杉などの巨木37本が境内に確認されています。
「埼玉県地名誌」によると、「伊古乃速玉比売神社」の大鳥居からの転との説があるようです。この神社の由来が気になります。
近くに金谷という地名がありますが、金谷には別に氷川神社があります。
追記:
滑川町付近を調べていたら、この地域のみに密集している神社群の親社が「伊古乃速玉比売神社」と判明!そして、近くの天台宗大願山成就院浄光寺の末、医王山瑠璃光院東光寺が「山田淡洲神社」の別当寺である事もわかりました。浄光寺のご本尊の地蔵菩薩は行基作と伝えられています。
詳しくは滑川町のページにて!
次に乗ったのは箭弓稲荷神社。
創建年代等は和銅五年(712年)と伝えられています。ご祭神は保食命。境内社は宇迦之魂社。
結構曰くありげな古い寺社が乗って来ましたね。ポンポン山との関連が気になります。
さてポンポン山に戻ります。御神体の湊石は、赤色チャートの一枚岩でした。
どうしてポンポンいうのかというと、どうも中に空洞があるようなのです。案内板の場所で飛んでみると不思議な感じがします。
ん?式内社に列せられた755年は、奈良の大仏様が完成した年ですね。この地域から銅を供出したのでしょうか。
岩の下には何やら裂け目と石塔が。
そしてその上には救世殿と彫られています。救世とくれば、奈良法隆寺の救世観音が有名ですね。ここも観音様が祀られていたのでしょうか。
下にある石塔にも何か文字が書かれているのですが、草で見えませんでした。
さて、家に帰って地図を見ていたら、ポンポン山と吉見観音の線上に黒岩横穴墓群と金堀穴が乗るかもと気が付きました。早速線を引いてみたところ、五重塔とポンポン山の磐座を結ぶと、両方線上に乗って来ました。(金堀穴は、八丁湖の二つ目の谷を上り詰めた源頭あたりにあるらしいのです)
ええええー
自分でもびっくり。
黒岩横穴墓群
吉見には有名な百穴もありますが、こちらの方が大規模で保存状態も良いそうです。
誰のお墓なんでしょう。吉見観音ーポンポン山ラインに乗っているという事は、そして黒岩という地名、鉱山関係の人々のお墓だったのでしょうか。。
恵日山福聚寺 真言宗智山派
ご本尊は不動明王。天平19年(747年)創建。あー吉見観音と同時期ですね。同じ真言宗智山派。息障院(岩殿山一門の寺、真言宗智山派)の名前も見えるし、関連がありそうです。
このお寺は地図でみると中構造線上ドンピシャです。
小八林 春日神社
創建不明(1748年より前)。ご祭神は天児屋命、境内社は八坂神社、天神宮、三島神社、金毘羅神宮、稲荷神社、白山神社、第六天社他。
この神社も地図でみると中央構造線上ドンピシャです。
再建の際、奈良県の春日大社で御神体を授かってきたそうです。
そういえば大月の岩殿山の周りにもなぜか春日神社が北側に2つにありますね。金山も北側。気になるので調べていたら、見つけました!川越市砂新田と行田市谷郷の春日神社に片目伝説が!
そして境内社の三島神社。なぜここに三島なのかと思い調べてみた所、「新編武蔵風土記稿」に、江戸時代、三島神社は本山派修験吉祥院の管理下にあり、本地仏として虚空蔵菩薩を祀っていたとの記載が!!本山修験といえば行基様!
白山神社もお祀りされているし、鉱物関連の気配が濃厚です。
ちなみに、春日神社の藤原氏の祖先、中臣氏の鹿島神宮も中央構造線のきわにあります!
そのうち行きたい吉見町の鉱物関連地
江綱 賴綱山寶性寺薬師堂 真言宗智山派
創建不明(江戸時代より前)。ご本尊は薬師如来像。
もしも眼病に霊験あらたかな薬師様だとすれば、それは片目を患う病、すなわち鍛冶師の職業病と繋がります。
江綱 元巣神社
創建不明(天文元年(1532)?)ご祭神は啼沢女命(関東唯一)・伊邪那岐神。境内社は頭殿社、天神、万太郎稲荷、村基稲荷、富士浅間、三峰
啼澤女は葬儀で鎮魂を行う遊部の巫女(猿女氏か、あるいはそれにごく近い氏族と考えられる)だとすると、戦国時代に金山開発で手腕を振るった申楽師出身の大久保長安に繋がる、鉱山開発マニュアルを持った一族がこの地にもやってきたのかも???
江綱という地名
埼玉県地名誌によると江綱は、飯綱から来ているとの事。
飯綱といえば戸隠修験者。真言立川流⇒荼枳尼天⇒北斗七星⇒妙見信仰⇒金山衆!!
江綱ではいったいどんな人達が何をしていたのか!?
大串 大串山金蔵院 本山修験宗
創建不明(鎌倉時代より前)。ご本尊は毘沙門天。
平家物語や源平盛衰記にも登場する武将大串次郎重親が守り本尊だった毘沙門天をお祀りする為に毘沙門堂を創建したといいます。
大串は江綱のとなりです。そこに鉱物神として武田信玄も信仰していた毘沙門天に行基様の修験道!
上銀谷 宝樹山薬師寺 浄土宗
薬師寺ホームページによると、創建年代等は不詳ながら、本尊は行基菩薩が境内の古杉一幹を使って造ったもので古杉薬師と呼ばれたものだとの事。
銀谷の地名の由来もこの寺の行基作と伝えられる薬師石像の腹に蔵されていた古杉薬師が白金であることによると言われています。
こちらも行基様関連寺社ですね。
更新 2019/06/16