川 越 樹 木 散 歩 川越駅周辺編
川越には寺社が多数あり、そこには巨樹や古木が沢山残っています。このページでは、川越駅周辺を散歩していて見つけた樹木を紹介します。
山口病院(地図A)のヒマラヤスギ。
ビルの間にニョキっと立つ立派な木です。
川越八幡神社(地図B) 縁結びのイチョウ。樹齢83年。
境内には、ケヤキの大木も何本もそびえています。川越祭りの「南通町 納曾利の山車」と「新富町2丁目 鏡獅子の山車」の車庫もあります。
小江戸蔵里(地図C)クスノキ。
ここは、もともと明治8年(1875年)に創業した旧鏡山酒造でした。川越祭りの「新富町1丁目 家光の山車」の車庫で、ガラス越しに山車を見ることができます。
出世稲荷神社(地図D)のイチョウ。推定樹齢650年。
隣のマンションと同じ位の高さがあったのですが、最近上の方を切られてしまいました。川越祭りの「松江町1丁目 龍神の山車」の車庫もあります。
熊野神社(地図E)の クスノキ。
境内社の後ろにも、古木が残っています。
熊野神社のご神木の3本のケヤキは、2011年に秩父を直撃した台風により、倒れてしまい、伐採されてしまいました。その後、熊野本宮神社の大斎原に樹生していた榊と梛(なぎ)が移植され、元気に育っています。
この神社には、足踏みロードあり、輪投げあり、宝池での銭洗いありと、盛り沢山で、毎日でも訪れたくなる神社です。川越祭りの「連雀町 道灌の山車」の車庫もあります。
鴉山稲荷神社(地図F)の ケヤキ。
残念な事に、何本かある木の1本は切られており、もう1本も枯れかけています。
川越城築城を任された太田道真が伐採した森の中から発見した石祠に、『源家勝平、怨敵退散、子孫長栄、大願成就、守護、承安三癸巴天四月十七日、願主河島武盛』と祈願文が書かれていたので、仮宮を建てたのが起源と言われています。「川越市史」によると、この地はもともと古墳だったらしいです。
その後、川越藩士が3年にわたる神隠しに遭遇したとの伝説も。
川越祭りの「仲町 羅陵王の山車」の車庫もあります。
雪塚稲荷神社(地図G)のマツとスギ。
本殿の向きが北で、参道が直角に曲がっているので、由来を調べてみると、白狐の祟りをおさめるために社を建て、白狐の霊を祀ったという事でした。
参拝後後ろを振り返ってみてびっくり。般若に睨まれてしまいました。
幸町の旧名は鍛治町。白狐と鍛冶。。
近くに「幸町翁の山車」の車庫もあります。
本宗稲荷神社(地図H)のクスノキと、曹洞宗青龍山養寿院(地図I)のイチョウ他。
本宗稲荷神社のご神木の根本に湧水があります。
養寿院は、寛元元年(1243年)、河越太郎重頼の曾孫にあたる経重が開基となり、大阿闍梨阿圓慶法師が開いたお寺です。柿本人麻呂の系譜に繋がる川越綾部氏の墓もあります。
六塚稲荷神社(地図J)の シラカシと、高沢橋をはさんで向い側にある見立寺のヒマラヤスギ。
六塚稲荷は、「新編武蔵風土記稿」によると、室町時代に太田道真が、この場所にあった6つの塚を崩した代わりに、6つの稲荷社を建造し、その後、6つの内5社を無くして1つの稲荷神社にまとめて祀ったとい書いてあります。この6つの塚も、どうも古墳らしいという噂が。。
見立寺は、小江戸川越七福神の第六番「布袋尊」のお寺で、連雀町にある蓮馨寺の末寺です。養寿院と背中合わせになっています。近くには川越祭りの「元町2丁目 山王の山車」の車庫もあります。
曹洞宗 青鷹山 広済寺(地図K)。
お寺の中に、金毘羅神社があります。そして、一風変わった「あごなし地蔵」と「しゃぶきばばあ」の2体のお地蔵さまに、ナゾの牢屋地蔵。そして境内の杉の老木には天狗が住んでいたそうです。不思議なお寺です。
時宗 稲荷山 称名院 東明寺(地図L)イチョウ。
ここもお寺の中に、神社がありますが、稲荷山なのに、お狐様がいません。この寺の境内が、日本三大奇襲の一つ「川越夜戦」(1546年)の激戦地となりました。
近くには、川越祭りの「志多町 弁慶の山車」の車庫もあります。
氷川神社(地図M)の ケヤキなど。
最大のご神木は、2011年に秩父を直撃した台風により、幹先10mほどの部分から倒れてしまいましたが、根本は健在です。他にも沢山のご神木が残っています。有名な川越祭りは、この神社の例大祭が起源と言われています。そしてこの神社には、湧水もあり、境内には柿本人麻呂神社やアラハバギを祭ったとされる子の権現社もあり、神紋もめずらしい雲菱で、とても興味深い神社です。
すぐ近くに、川越祭りの「宮下町 日本武尊の山車」の車庫もあります。
川越高校(地図N)と川越第一小学校(地図O)の クスノキ。
川越高校は、映画「ウォーターボーイズ」で有名になりましたね~。
川越城富士見櫓跡 御嶽神社(地図P)。
クスノキやイチョウや、沢山の古木が残っています。私の大好きな場所です。
三芳野神社(地図Q)の クスノキ。
童謡「とおりゃんせ」発祥の地と言われています。この歌も謎ですね。いろいろな解釈があるようです。川越祭りの「大手町 鈿女の山車」と「幸町 小狐丸の山車」の車庫もあります。
浮島稲荷神社(地図R)のケヤキ。
昔は、浮島稲荷神社の一帯は遊女川の湿地帯で、清水が湧き出る穴が7つもあり、「七ツ釜」と呼ばれていたそうです。
永島家住宅(地図S)。
武家住宅の敷地内に大きなヒマラヤスギがあります。
仙波日枝神社(地図T)。
6世紀の前方後円墳でしたが、大正13年の県道工事で古墳のほとんどを壊してしまい、現状は前方部分だけが残っています。喜多院境内にある多宝塔はもともとこの古墳の上に建っていたそうです。
境内には喜多院七不思議の一つ「底なしの穴」があり、後述する、龍池弁財天の双子池と繋がっているという伝説があります。
小仙波町は鎮守がこの日枝神社なので、氷川神社の祭礼である川越祭りの山車を作っていないそうです。
喜多院(地図U)天海僧正お手植の槇(推定樹齢270年)と喜多院公園のイチョウなど。
境内には多数の古木が残っています。
すぐ近くに、川越祭りの「西仙波町 素戔嗚尊の山車」の車庫もあります。
仙波東照宮(地図V)のエドヒガンザクラ。
寛永16年(1639年)に松平伊豆守が植えたと言われています。
中院(地図W)のしだれ桜
美しいお庭です。
三変稲荷神社(地図X)のムクノキ。ここから、碧玉製石釧・白銅製四神四獣鏡・底部穿孔土器(埴輪壷)などが出土し、4世紀代の県内最古級の古墳と推定されました。
龍池弁財天(地図Y)のケヤキ。祠の扉は、なぜか鎖でがんじがらめにされ、秩父神社の絵馬がかけられています。この絵馬には、「諸災消除」「鬼門守護」と赤字で書かれ、右側に「つなぎの龍 左甚五郎作」と書いてあります。
なぜ鎖で縛られているのでしょうね~。不思議です。
ところで、この双子池には竜神伝説の言い伝えがあるそうです。
はるかな昔、この辺は一面の海だったと云われています。仙芳仙人がお寺を建てようとしたところ、この海の主で竜神の化身である老人が現れたので、仙芳仙人は「私の衣を広げただけの土地を頂きたい」と頼みました。老人は承知し、仙芳仙人が衣を波の上に広げるとたちまち数十里の大きさに広がったそうです。老人は驚き「これでは私の住むところがないので、小さな池を残して欲しい」と言ったので、仙芳仙人は小さな池を残し、土仏を作って海に投げ入れると、たちまち海水が退き陸地になりました。そして小さな池の脇に龍神のために弁財天を祀りました。それがこの弁天池と云われています。そして、仙芳仙人が建てた寺こそ「星野山無量寿寺」。今の喜多院です。
日枝神社境内の「底なしの穴」で投げ入れたものは、いつの間にかこの池に浮かんでいたという伝説もあるそうです。
縄文時代には、このあたりは実際海だったようで、貝塚も発掘されています。伝説は、まったくの作り話ではなく、真実を含んでいるものです。
仙波氷川神社(地図Z)のケヤキ。根本にお稲荷様が祭られています。ここにも古墳があります。仙波は古墳がいっぱいです。
川越祭りの「仙波町 仙波二郎の山車」の車庫もあります。
愛宕神社(地図a)。神社の下の武蔵野台地の崖からは、昔は滝が流れ落ちており、なんと!大好きな、倶利伽羅不動が祭られています!
この神社も、古墳の上に建っています。狛犬もブルドックみたいでラブリーです。
富士浅間神社(地図b)この神社も古墳の上に建っており、神社の裏手にはなんと火口まであります。
愛宕神社の古墳は「父塚」、この浅間神社古墳は「母塚」と呼ばれていたそうです。
岸町熊野神社(地図c)のケヤキ、桜など。烏頭坂と呼ばれる古くから人々が行き交う坂の脇の高台上にあります。境内には、とてもたくさんの神様がお祭りされています。
付近には、大木が多数残っており、四季おりおり散歩すると楽しい地域です。
川越祭りの「岸町 木花咲耶姫の山車」の車庫もあります。
城南中学校(地図d)の桜など。
岸町熊野神社のそばの、武蔵野台地の崖際にあります。近くからは数十基の横穴墳墓群が発見さています。
妙法豊川稲荷大明神(地図e)のクスノキ、ケヤキなど。
もともと工場の敷地内でしたが、今は住宅展示場になっています。
雀ノ森氷川神社(地図f)。氷河大明神の石祠のまわりには大木が。境内には他に富士塚もあり、毎年9月1日に、お焚き上げ神事が執り行われます。
本殿、氷川大明神の延長線上は、なぜか空地になっていて、その先には、「野立所」の碑があります。
「大正元年11月に、川越で帝国陸軍の特別大演習が行われた際、大元帥である大正天皇がこの場所に立たれ、演習を上覧になられた」と、碑の裏面に書いてあります。
加門七海氏の説によると、明治天王は氷川神社に足を運び、武蔵野の結界を作り変えたと言っているのですが、この神社も何か役割があり、お焚き上げもその何かにかかわっているのかもしれませんね。
寿町白山神社(地図g)イチョウ他。元のお住まいは「川越大師 喜多院」。 武田信玄の家臣「山口長左衛門」が祀った神社で、現在 喜多院と隣接する仙波東照宮の造営にともなって、この場所に移ったとされています。
野田神社(地図h)。神社の紋は「三つ巴」が多いのですが、こちらの神社は「二つ巴」です。
川越祭りの「八幡太郎の山車」の車庫もあります。
六塚神社(地図i)のカシ、ケヤキ、サクラ他。川越カトリック教会と隣り合わせています。
現在の川越市駅を建てた時、六軒町の人々が駅敷地5000坪を寄付したことを記した「川越町駅碑」、水準点、川越祭りの「三番叟の山車」の車庫もあります。
更新 2016/04/01