川 越 樹 木 散 歩 郊外 東部編
川越には寺社が多数あり、そこには巨樹や古木が沢山残っています。このページでは、川越東部を散歩していて見つけた樹木を紹介します。
八雲神社(地図A)。
「中台の祭りばやし」で知られる八雲神社の社殿は約26mの円墳の上に建っています。
境内には巨大な切株も見られます。
254号線沿いの私有地(地図B)。ドイツの森のようです。
扇河岸の農家(地図C)。屋敷森です。
砂氷川神社(地図D)のシラカシ。推定樹齢270年。
イヌツゲは残念ながら切られてしまったようですが、ケヤキなどは残っています。
天台宗 蓮華院 岸光山 観音寺と日枝神社神社(地図E)のムクノキとイチョウ。
観音寺は、川越市古谷本郷にある灌頂院の末寺で、日枝神社は観音寺の境内社でした。
近くの旭橋周辺には3つの河岸があり、古い建物も残っています。
天台宗 寺尾山 蓮乗院 勝福寺と日枝神社神社(地図F)のコウヤマノキ。推定樹齢600年以上。
立派な木ですが、先が折れてしまっています。他にも沢山の大木があり、昼なお暗い参道です。
勝福寺は天長年間(830年頃)に、慈覚大師円仁によって寺尾山蓮乗院として開山したといわれます。本尊の阿弥陀三尊立像は円仁の作だそうです。
寺の屋根に菊紋が見えます。これは天台宗の宗章、三諦章(さんたいしょう)と言います。
天台宗の名は中国の天台山から来ています。昔から霊山として崇められ、道教なども盛んでした。隋の煬帝の時代から国清寺と呼ばれるようになり、日本の天台宗の開祖である最澄や、円珍、栄西、道元などもこの寺で学びました。
天台山は天帝のいる場所(北極星を中心とした星座)、紫微星(しびせい)を支える三つの星、その真下にある場所という事で名づけられ、日本の天台宗の宗章には、この三つの星が十六菊の上に配置されています。十六菊は日本の国を表しています。
天皇家でこの菊の紋が使用されているのは、最澄が桓武天皇に比叡山で採取した16 弁の菊の花を献上した事が始まりと言われ、その為、天台宗では菊の紋の使用を許されていると言われています。
近くの、ふじみ野市元福岡(地図G)には、道の真ん中に巨大なもみの木が残っています。
獅子宮氷川神社(地図H)のクスノキやヒマラヤスギなど。
洪水で流れてきた獅子の頭を祭ったという伝説があり、江戸時代は獅子明神社と呼ばれたそうです。両方「阿」型の獅子のような狛犬がらぶりー。
陸道稲荷神社(地図I)。鉄と関連のある渋井地区にある神社です。近くには屋敷森のある古い農家も沢山残っています。なんとカワセミも見ちゃいました!
天台宗 灌頂院と古尾谷八幡神社(地図J)のサイカチなどと、古谷本郷の農家(地図K)。
古尾谷八幡神社で「ほろ祭り」を見物しました。ほら貝と笛にあわせて、天狗さまが相撲の行司のような踊りをする獅子舞や、天狗さまが先頭を歩くほろ行列は、とても興味深いものでした。
境内にはお稲荷様もあり、古墳もありました。ここも何か金属に関係するのでしょうか??
それに、眺めも最高なんです。浅間山も両神山もくっきり見えました。
再訪したい神社です。
奥貫家長屋門脇(地図L)のクスノキと、近くの農家(地図M)のケヤキ。
接骨院(地図N)の大木と、並木(地図O)のクスノキ。推定樹齢100年以上。「並木の大クス」として、埼玉県指定天然記念物となっています。
天台宗 雨寶山 瀧岩院 福寿寺と並木氷川神社(地図P)のクスノキなどと、南田島稲荷神社(地図Q)。
弁天神社と薬師堂(地図R)のイチョウ。
川越市の無形民俗文化財に指定されている「南田島の足踊り」が奉納される、南田島氷川神社の近くです。
このあたりも立派な屋敷森が残っています。
南田島の不明な神社(地図S)。ちょっと墳墓のようにも見えます。草が茂っていて中には入れませんでした。
大中居氷川神社(地図T)と愛宕神社のクスノキやサクラなど。
クロマツは枯れてしまったようです。
境内には富士塚もあります。
古谷神社(地図U)。
この神社も古墳の上にあるように見えます。境内には富士塚や、20もの境内社が祭られており、その中には韓天神社もあります。ここもちょっと金属っぽい感じが。。
薬師神社(地図V)のイチョウやサクラなど。
この神社は目にご利益がある事で知られるそうで、絵馬の模様も「め」。川越の薬師堂や薬師神社には、この「め」の絵馬が多く奉納されているようです。
江田稲荷神社とそばの農家(地図W)。参道で猫がお昼寝。。
江田稲荷神社の近くには舟山古墳があります。
更新 2014/10/09