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新河岸川を歩こう!new

5日目 黒目川合流点から柳瀬川合流点まで

今日は、東武東上線朝霞駅から歩きます。クリックすると大きくなる画像もあります。

御岳山神社 御岳山神社

朝霞駅から柊塚古墳公園に行こうと歩いていたら、郵便局の裏手に地図にない神社が。額には「御嶽山」と書いてあります。くねくね曲がる階段を登るとと、そこはとても住宅地とは思えない場所。蝉声が響き、深山のようです。(地図a)

浮間橋 浮間橋
 

帰った後で調べると、参道のくねくね坂は「仏坂」というそうです。このあたりは、朝霞根岸古墳群があり、古代から神聖な場所だったと思われます。

そういえば、雰囲気の似ている川越城の富士見櫓跡にある神社も御嶽神社でした。

柊塚古墳公園

しょっぱなから、素敵な神社に巡り合えて、「今日は幸先いいなぁ」とニコニコしてしながら急な坂を上ると、柊塚古墳公園(地図b)が見えて来ました。 らぶりーな馬の埴輪くんもお出迎えしてくれます。

柊塚古墳公園柊塚古墳公園

車止めも円筒埴輪、トイレも家型埴輪。埴輪だらけで楽しいですね~。

柊塚古墳公園柊塚古墳公園

階段を上ると、東と北が開けていて、とても眺めが良いです。スカイツリーも見えました。

川越の仙波古墳や、ふじみ野市の権現山古墳もそうですが、武蔵野台地の崖に古墳群が沢山あります。古代は、「眺める」事により、その見渡した範囲に力を届けるという意味があったようなので、自分が死んだ後も、自分が支配した場所を眺めたかったのかもしれませんね。

小豆沢神社小豆沢神社

柊塚古墳は、前方後円墳でした。今は円墳の所が残っています。

黒目川合流点黒目川合流点

古墳を堪能した後は、一路新河岸川へ向かいます。

公園を下りたところが黒目川で、下流へと歩いて行くと、新河岸川との合流点(地図c)に出ます。

雀の車止め龍福寺

川でよく見る雀の車止めです。これってかなり色々な所にあるのですが、建設省が作っているのでしょうかね?可愛いけど、ちょっと痛そうです。

このあたりは、「わくわく田島緑地」として遊歩道が整備されていて、季節の花が咲いています。わくわくって。。。

御手洗不動御手洗の泉

新河岸川を上流に少し行くと、旧河川跡に朝霞ガーデン(地図d)という釣り池がありました。ルアーもフライもOKです。水は地下水を使用しており、ニジマス、ヤマメ、イワナなどが放流されているそうです。

神明神社神明神社

少し戻って神明神社(地図e)に寄って行きます。

田島神明神社は、創立年代は不明ですが、別当寺であった富善寺(元和3年年1617開基)と同時期に創建したと推定されています。祭神は天照皇大神・面足尊。境内社は、稲荷社、秋葉社・御嶽社・八坂社・榛名社。

神明社は、伊勢神宮の系列社で、製鉄と関係があるとかないとか。。。ちょっと興味があります。

それに、神仏分離令で本来の祭神である天照皇大神が浜崎氷川神社に飛ばされて、窮余の策として、志木市宗岡の天津神社から面足尊を分霊していただいたものの、天照皇大神に戻って来てほしいと熱望した氏子達の必死の運動により、、昭和31年が天照皇大神に戻って来たとは。う~ん。なぜ面足尊?面足尊は仏教における天界の最高位である第六天魔王の垂迹であるとされ、修験道で信仰された神様です。天照皇大神と面足尊は何か繋がりがあるのだろうか?

実は、荒川、入間川、新河岸川流域は、砂鉄が取れたようで、4日目の和光市のあたりだけでなく、これから先各地で金属の匂いを感じる場所が出てきます。

新盛橋新盛橋

新盛橋(地図f)まできました。欄干に神明神社の絵がかいてあります。新河岸川の由来の看板もあります。

ん?川越市渋井付近では鉄分の多い川という意味で渋川と呼ばれていたですと!?渋井には陸道稲荷神社がありますね。稲荷(鋳成り)だ~!!行かなくては。

新河岸川の歴史や地質については、ここに書いてある内容も含めて、「新河岸川のなりたち」に詳しく書きましたので、ご一読を。

「新河岸川のなりたち」へ⇒

JR武蔵野線鉄橋JR武蔵野線鉄橋

JR武蔵野線鉄橋(地図g)。もともと武蔵野線は貨物専用線でした。今も貨物列車が多く走っています。

新宮戸橋新宮戸橋

新宮戸橋(地図h)付近には、武蔵野台地の崖に建つ住宅が増えてきます。地下1階地上2階ですね。

宮戸橋宮戸橋

宮戸橋(地図i)の電燈はカモメ型。近くではアヒルが日向ぼっこしていました。

宮戸神社宮戸神社

すこし寄り道して宮戸神社に行きます。(地図j)

宮戸神社の創建年代は不詳ですが、別当寺は真言宗薬王院仏眼寺と号する法蔵寺で、中世に熊野信仰が高まった際に熊野社として創建したといい、宮戸村の鎮守社であったといいます。ご祭神は面足尊・伊弉諾尊・伊弉冉尊・稲倉魂命・高良玉垂姫命で、境内社は護国社、辨天社、天神宮、天満宮、白山社、日王子社、御嶽社、神明社、稲荷社7柱です。

この神社でひっかかるのは、「面足尊」と「高良玉垂姫命」。

特に「高良玉垂姫命」。「コリョ」と読めば南韓の高霊、「甲羅」と読めば亀の甲羅。それに「タマテル」ですからね~。竜宮城伝説も思い出されます。

宮戸村が上下に分村した元禄年間(1688-1704)以降に、本村(下宮戸)の蔵王権現社を分祀して重殿権現社として創建したのではないかという説もあるこの神社も何か金属に関連している可能性があるような気がします。

天明稲荷神社天明稲荷神社

宮戸神社神職家である高橋家にある天明稲荷社(地図k)。

天明稲荷社の創立はあきらかではないが、もとは柳澤清五郎の座敷神。柳澤家の祖先が山林に白狐の死骸を発見し、なみの野狐ではないことから懇ろに供養し祠をもうけたことにはじまると言われています。

お狐様がらぶりーです。

天明稲荷神社天明稲荷神社

抱き稲紋の中がピンク色です。桃みたい。。

近くの畑で、桑の実を御馳走になりました。甘酸っぱくて美味しいかったです。

御嶽神社赤羽八幡

田子山御嶽神社(地図l)。天保2年(1831)に実明講社(御嶽講の一派)の人々が木曽御嶽神社を勧請して創建したと言われています。ご祭神は国常立大神、豊雲野大神、大己貴大神、少名彦名大神、境内社は稲荷神社。

御嶽神社御嶽神社

境内の仏像が、外人っぽい不思議なお顔をしています。

ご神木の根本が残っていました。住宅地なのに、山の中のような気分になる神社です。

敷島神社敷島神社

敷島神社(地図m)。当地の浅間神社に、字市場の村社の村山稲荷神社・星野稲荷神社と無格社の水神社の三社を明治40年に合祀、社名を敷島神社と改称して成立したそうです。ご祭神は木花開耶姫大神、相殿は罔象女大神、倉稲魂大神、境内社は琴比羅神社、浅間神社、鷲宮神社、稲荷神社、松尾神社、水神宮、下浅間社。

毎年6月の大祓には、人形流しと茅の輪くぐりの神事が行われるそうです。

敷島神社諏訪神社

浅間神社は、田子山塚と呼ばれていた古墳から引又町の高須庄吉が暦応3年(1340)の板碑を発見し、明治5年に盛り土をして、富士塚としたそうです。毎年8月に、お焚き上げ神事も行われているそうです。

ここも古墳でしたか!

いろはシラサギ

いろは親水公園(地図n)を下りて、新河岸川に戻ります。ここで、シラサギを発見!

富士下橋柳瀬川合流点

富士下橋 (地図o)を過ぎると柳瀬川合流点(地図p)が見えて来ます。

引又河岸引又河岸

引又観音堂(地図q)。このあたりに引又河岸があったようです。

今日の新河岸川歩きはここまでです。

今日歩いたところ
参考資料
  • 「大江戸魔法陣」加門七海 著 集英社文庫
  • 「黄金結界」 加門七海 著 河出書房新社
  • 「鉄の民族史」 窪田蔵郎 著 雄山閣
  • 「鉄から読む日本の歴史」 窪田蔵郎 著 講談社学術文庫

更新 2014/10/03